国際仏教学大学院大学
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  公開研究会 発表要旨  
 

落合 俊典 (国際仏教学大学院大学 教授)

一切経と一切経音義

 一切経の基準は唐の開元十八年(730)に成立した『開元録』二十巻の入蔵録(巻19・巻20)に依拠しているが、一切経という言葉から仏教の三蔵(経・律・論)のみをイメージしやすい。しかし中国で編集された書物も数多く編入されていて、それらは賢聖集(梵本翻訳と此方撰集に二分され、後者が該当する)と称されている。賢聖集は108部541巻あるが、中国編集の此方撰集は40部367巻あり、一切経巻数の7%を占めている。
 この中に玄応の撰になる『一切経音義』二十五巻が見られる。その書名からの印象によって『一切経音義』は『開元録』入蔵録1076部5048巻を対象としてそれらの音義を採録したものと想定しがちである。ちなみにテキストによって部数は若干異なるが、玄応撰『一切経音義』には452部の経律論が採録されている。半数にも満たないのである。いかにも一切経音義という書名に相応しくないとの批評が出ても当然であろう。
けれどもこの批判を、厳密な言語学者、玄応に向けては些か酷というものである。何故ならば、恐らく玄応は「一切経」という表現で書名を著さなかったと思われるからである。彼は「大唐」の王朝名を冠して『大唐衆経音義』と命名したのである。
それでは何時如何なる者の手によって書名が変更されてしまったのであろうか。その答えは難しいが、類似したケースを取り上げて考えてみたいと思う。
  
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