国際仏教学研究所 研究プロジェクト
サンスクリット写本識語の研究
―ネパール写本を中心として―


研究の概要

 ネパール本国はもちろんヨーロッパや日本にも膨大な数量が知られる、ネパールで作成されたサンスクリット写本について、従来の研究で等閑視されてきた識語を正確に解読しながら電子テキストとして蓄積し、識語に含まれる様々な情報(筆写年代・地名・寺院名・王名・筆写者・寄贈者・所有者など)を収集しそのデータベースを構築する。特に筆写年代は、ソフトウェアを使い西暦に換算・確定する。データベースは、写本の系統推定や正確な解読など文献研究の一助となるだけでなく、ネパールの歴史研究の一次資料となる。筆写年代の確定できた写本については、文字の一覧表を作成しネパール写本の書体変遷を通時的に記述するための資料とする。

研究の背景

 イギリス・ネパール戦争 (1814-16) の後、カトマンドゥにイギリス公使が常駐することとなった。1832-43年イギリス公使であった Brian Houghton Hodgson (1800-1894) は、ネパールの仏教徒(ネワール民族)の間にサンスクリット仏典が伝承されていることを発見し写本をヨーロッパに送った。フランスのインド学者 Eugène Burnouf (1801-1852) らは、Hodgson を通じてヨーロッパにもたらされたサンスクリット写本にいち早く注目し、ここにサンスクリット・テキストに基く仏教研究が開始されることとなった。Hodgson の後も、イギリス公使館付外科医であった Daniel Wright がケンブリッジ大学図書館に数百点のサンスクリット仏教写本を寄贈し、19世紀中に相当数の写本がネパールからイギリス・フランスを中心とするヨーロッパにもたらされた。明治維新後、ヨーロッパの仏教文献学に触れた日本でも、ネパール写本は注目を集め、河口慧海 (1866-1945)、高楠順次郎 (1866-1945)、榊亮三郎 (1872-1946)らがネパールに入り、サンスクリット仏教写本を日本にもたらした。1970年代からはドイツ連邦共和国とネパール王国による Nepal-German Manuscript Preservation Project がネパール国立公文書館をはじめネパール国内に存在する膨大な数のサンスクリット写本の組織的写真撮影を実施した。以上のようにヨーロッパや日本で保管されている写本を含め、現在では膨大な数のネパール写本が知られている。

 ネパール写本はサンスクリットで書かれた仏教文献の最大の供給源である。これまでにネパール写本を使用して校訂されたサンスクリット仏典は膨大な蓄積があり、これらのテキストを利用してインド仏教、特に大乗仏教研究が行われてきた。従来ネパール写本を研究する際の重点は本文校訂研究にあったため、本文と直接関係のない、筆写者による識語はほとんど注目されることなく付属的に扱われてきた。識語の内容をできるだけ正確に記述すべきカタログ類においてさえも不適切な扱いを受けている。その一因は、ネパール写本の識語が、時代が下るに従ってサンスクリットではなくネワール語という全く系統の異なる言語で書かれるようになったためである。例えば東京大学所蔵河口・高楠コレクションのカタログ Seiren Matsunami, A Catalogue of the Sanskrit Manuscripts in the Tokyo University Library, Tokyo: Suzuki Research Foundation, 1965 のもとになった "Matsunami's Note Book" (東京大学総合図書館所蔵) では、識語のネワール語で書かれた部分は "in vernacular" と記されるのみで解読が行われておらず、その結果年代が明記してあるにもかかわらずこれを見逃し "no date" と年代不明写本として扱われている写本がある。

 しかしながら、ネパール写本の識語を注意深く解読すれば、写本作成の日付のほか、地名・寺院名・王名・筆写者・寄贈者などを記載したものも少なくない。これらの情報は、ネパールの歴史を研究する上で一次資料となるのはもちろんのこと、当該写本を文献学的に扱う上でも極めて重要である。パキスタン北部ギルギット近郊で発見されたサンスクリット写本の識語に関しては、Oskar von Hinüber が1980年に発表した "Die Kolophone der Gilgit-Handschriften," Studien zur Indologie und Iranistik 5/6: 49-82 の中で年代・王名・筆写者名・寄贈者名等が明らかにされ、ギルギット地方の中世史の一端が解明されたほか、同地方で丸型グプタ書体からプロトシャーラダー書体へと使用書体が移行した時期も明らかとなった。ネパール写本の識語に関しては、von Hinüber 論文に比肩すべき論文が未だに存在しない。

研究の方法

 このように現時点でほとんど未開拓といってよいネパール写本識語について、我々はここに組織的な研究を開始したい。

 まずネパール写本の写真版・原典転写版・校訂版等公刊された書籍・論文の中から識語部分を含むものをリストアップし、文献目録を作成する。またインターネット上で利用できるサンスクリット写本の画像ファイルの中で識語部分を含むものを収集する。その他、マイクロ資料等で利用できるネパール写本の調査と並行して、東京大学、東洋文庫などネパール写本を所蔵する研究機関に出向き実物の調査を行う。

 以上の範囲で調査できたネパール写本のうち、筆写年代を記したものを優先的に解読し、ローマ字翻刻を電子テキストとして蓄積する。筆写年代は矢野道雄教授の開発したソフトウェア Pancanga を応用して西暦に換算し写本の絶対年代を確定させる。識語のなかに記述される地名・寺院名・王名・筆写者・寄贈者・所有者その他の固有名詞を記録しデータベースを構築する。年代の確定した写本の中から書体の変遷の通時的記述に役立ちそうな写本を選び、文字の一覧表を作成する。

研究の意義

1. データベースで同一筆写者の作成した複数の写本が明らかになり、それらの写本に共通する特定筆写者の書体の特徴・書き癖が判明する。これにより、一本の写本のみを研究する場合よりも正確な解読が行える。

2. 地名・寺院名データベースの本文校合への応用。本文の比較により密接な系統関係が推定される複数の写本が、例えば同一の場所・寺院で作成されたことが実証できれば、特定テキストの複数写本の系統関係の推定に一つの判断基準を与えられる可能性がある。

3. サンスクリットとしては誤記と考えられるものも全て忠実にローマ字に翻刻し電子テキストとして蓄積することにより、ネパール写本に共通する表記上の特徴、特にネワール語の影響が明らかになる。ネパール写本におけるネワール語の影響は John Brough, "The Language of Buddhist Sanskrit Texts," Bulletin of the School of Oriental and African Studies 16.2 (1954): 351-375, 特に p.354 で具体的に指摘されているが、本研究では表記上交替しうる音韻を、頻度等含めより詳細に明らかにしたい。

4. 年代の確定した写本に基いて書体の変遷を通時的に記述すれば、識語のない写本や年代記載のない写本の年代を推定する基準が得られる。
ネパール写本の書体を通時的に記述した研究は、1883年に出版されたケンブリッジ大学図書館所蔵仏教サンスクリット写本のカタログ Cecil Bendall, Catalogue of the Buddhist Sanskrit Manuscripts in the University Library, Cambridge, Cambridge: With Introductory Notices and Illustrations of the Palaeography and Chronology of Nepal and Bengal, Cambridge: University Press のなかで Bendall が発表した "Paleographical Description" が現在に至るまでほとんど唯一のものといってよい。当時彼の使ったケンブリッジ大学図書館所蔵写本に比べれば、現在利用できるネパール写本の数はまさに桁違いである。作成年代の確定した写本に基き、書体の変遷を一覧表にすれば、Bendall よりもはるかに精密な通時的記述が可能となろう。この一覧表は識語のない写本や年代の記載のない写本の年代を、書体に基づいて推定する際の基準となるはずである。

 以上1~4はサンスクリット写本のより厳密・精確な本文研究に貢献する。

5. 筆写年代の確定した識語に現れる王名のデータは、在位年代推定の一次史料となる。
これまでに写本識語を利用したネパール史研究としては、以下の3点を挙げることができる。

  • Luciano Petech. Mediaeval History of Nepal (c. 750-1482). Second, thoroughly revised edition. (Serie Orientale Roma, 54). Roma: Istituto italiano per il Medio ed Estremo Oriente, 1984.
  • D. R. Regmi. Medieval Nepal. Part 1: Early Medieval Period 750-1530 A. D. Calcutta: Firma K. L. Mukhopadhyay, 1965.
  • D. R. Regmi. Medieval Nepal. Part 2: A History of the Three Kingdoms 1520 A.D. to 1768 A.D. Calcutta: Firma K. L. Mukhopadhyay, 1966.
各著書の題名から明らかなように、Petech の研究は西暦1482年、Regmi の研究は西暦1768年以前に限られている。Regmi は、ゴルカ王朝の成立した西暦1768年以降について Modern Nepal という研究書を刊行しているが、そこでは史料として写本識語は使われていない。本研究は特にゴルカ王朝成立以降のネパール史に関する一次史料として写本識語のデータを提供できる。また Petech, Regmi の両者が利用できなかった写本識語を研究することにより従来の研究を部分的に補える可能性がある。

6. 筆写年代の確定した識語に見られる寺院名・地名は、寺院史の史料となる。
ネパールの仏教寺院に関しては John K. Locke, Buddhist Monasteries of Nepal: A Survey of the Bahas and Bahis of the Kathmandu Valley, Kathmandu: Sahayogi Press, 1985 が各寺院の現状も含め寺院史を詳細に記述する。Locke は写本識語を利用しているが、本研究により蓄積される寺院名データはそれを補訂するものとなろう。

7. 識語の中で時折言及される、当時の出来事・儀式等はネワール社会史の史料となる。

 5~7はネパールの歴史研究の一次史料として利用可能である。

8. 願文をはじめとする写本作成の目的の記述により、当時のネワール仏教徒がそれぞれのテキストをどのように扱いなぜ伝承していたかが垣間見える。ネワール仏教史は研究が進んでいるとは言いがたいが、識語の記述から明らかになることもあろう。

 以上のように、本研究は従来ほとんど未開拓な分野を対象としており、研究の進展により、サンスクリット文献学はもちろん、ネパール史研究、ネワール仏教史研究にも貢献できよう。

 
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