フランス国立高等研究院 2024年~2025年
2024年年末から2025年3月末まで、私は国際仏教学大学院大学の交換留学制度を利用して、フランス国立高等研究院(EPHE)に留学する機会をいただきました。パリでの3か月余りの研究生活は、私の学術的視野を大きく広げ、研究者としての新たな一歩を踏み出すきっかけを与えてくれました。
留学期間中、私は東アジア文明研究センター(CRCAO)本部が置かれたコレージュ・ド・フランスの文明研究所を活動拠点としました。CRCAOは、EPHE、フランス国立科学研究所、パリ・シテ大学、コレージュ・ド・フランスが共同で運営する研究機関であり、中国学、日本学、チベット学研究の国際的な中心地として知られています。文明研究所の図書館は、東アジア研究の中でも、特に仏教学関連の文献が充実しており、フランス語や英語のみならず、日本語の資料も豊富に所蔵されています。全蔵書はOmnia Collège de Franceから検索可能で、これによって効率的な研究活動を行うことができました。
今回の留学は、写本調査、および論文指導を主な目的としていました。パリに到着後まもなくして、Romain Lefebvre氏のサポートのもと、フランス国立図書館のリシュリュー館で手続きを行いました。私にとって、初めての敦煌写本調査です。『金剛壇清浄廣大陀羅尼経』(P. 3918)の原物を手にして、デジタルデータベースの画像と比べて、紙質、墨の状態、書字の特徴を鮮明に観察できることに驚きました。この経験は、文献研究における実物調査の重要性を再認識する貴重な体験として心に残っています。
写本にまつわる印象深い経験として、もう一つ、Jean-Noël Robert教授のご厚意で実現した平安写経『倶舎論頌疏巻第三』の閲覧調査があります。帰国を一週間後に控えたある日、Robert教授から、インド研究所のRonan Moreau氏のご提案により「高楠写本」をお見せしたいとのご連絡をいただきました。同写本は、小野玄妙先生からSylvain Lévi先生に贈られたもので、現在はコレージュ・ド・フランスが所蔵するSylvain Lévi文庫に収められています。Robert教授が同写本を「高楠写本」と呼称されたのは、大正蔵の対校に用いられたものであろうとのお考えに基づくものでした。Robert教授は、同写本の時代的特徴について、落合俊典教授にご意見を仰ぎたいと仰いました。そこで、撮影データを落合教授にお送りしたところ、教授はすぐに数点の特徴をご指摘されました。これによって、文明研究所の方々はたいへん喜ばれました。それは、本資料がもつ日仏学術交流の象徴的な意義を示唆する、印象的な出来事でした。
留学中は、さらにRobert教授のご紹介により、Sylvie Hureau教授のご指導を賜る機会に恵まれました。Hureau教授には、私が前年に国際チベット学若手研究者会議でおこなった発表内容について、詳細なフィードバックをいただきました。これにより、日本国内での仏教学的アプローチを、フランスの東洋学研究の視点から再解釈する方法について多くの示唆を得ました。このときの成果として、『金剛場陀羅尼経』チベット語訳の系統に関する論考がまとまり、Jounal Asiatiqueへの投稿準備を進めることができました。帰国前にHureau教授からいただいた「博士論文は研究者としての始まりに過ぎません。これからが本当の研究生活の始まりです」という言葉は、今後の研究への決意を新たにする契機となりました。
3か月の留学期間を通して、CRCAO主催の講演会やワークショップに積極的に参加し、多くの研究者との交流を深めることができたのも素晴らしい経験でした。パリだけではなく、ライプツィヒ大学で主催された国際アビダルマワークショップへの参加も大きな刺激となりました。世界から集まった若手研究者たちとの交流を通じて、アビダルマに関する知識のみならず、私の研究テーマである大乗の陀羅尼思想についても新たな解釈の視点を得ることができたのは大きな収穫でした。
短期間ではありましたが、世界的な研究環境に身を置くことができたことは、研究者としての私の成長に大きく寄与しました。特に、フランスの東洋学研究の伝統的手法と日本の仏教学的アプローチを組み合わせることで、これまでとは異なる視点を見出すことができるという学びは、私の宝物になりました。この留学で構築した研究ネットワークを維持し、今後は自分自身が主体となるワークショップの開催や共同研究プロジェクトにつなげていきたいと考えています。敦煌写本や日本古写経の研究を継続しながら、国際的な研究の場での発表も積極的に行っていく予定です。