HOMEお知らせ日本古写経研究所平成27年度 第1回公開研究会

平成27年度 第1回公開研究会

日時

2015年5月9日(土)午後3時~午後4時30分

会場

国際仏教学大学院大学 春日講堂
東京都文京区春日2-8-9
アクセス

発表者

野呂 靖(龍谷大学 専任講師)
真言宗義まことに味わいあり―頼瑜が依拠した明恵上人門下の思想―

【発表要旨】

鎌倉期における真言教学の形成に多大な影響を与えた頼瑜(1226~1304)の『即身成仏義顕得鈔』三巻は、頼瑜の即身成仏説を検討する上できわめて重要であるが、その内容については不明な点が多い。なかでも本書は従来、覚鑁教学の影響下に成立したと考えられてきたが、実際には明恵(1173~1232)門下の順性房高信(1193~1264)による『即身成仏義』の注釈書『六大無碍義抄』二巻からの大幅な引用や、書名を明記しない転用によって成り立っていることを、発表者は以前報告したことがある。  『六大無碍義抄』は、上巻が高山寺蔵本、唐招提寺蔵本、京都大学附属図書館蔵本の三本、下巻はそれに加えて大須真福寺に一本の写本が伝存する。なかでも真福寺蔵本は頼瑜自身による奥書を有しており注目される。そこで頼瑜は「他宗の人師の製作といえども真言宗義誠に味わいあり」ときわめて高く評価しているのである。  このたびあらためて頼瑜の著述を精査したところ、「私云」など頼瑜自身の見解と考えられてきた箇所についても『六大無碍義抄』からの転用が確認された。なぜ頼瑜は明恵門下の著述を入手し、転用したのか。本発表では、頼瑜における高信の著述の受容態度について検討することで、明恵没後の高山寺教学の展開について報告したい。

河上 麻由子(奈良女子大学 准教授)
日本古写経中の『広弘明集』について

【発表要旨】

仁寿舎利塔建立事業とは、仁寿元年(六〇一)における文帝の誕生日を皮切りに、同二年・四年と三度にわたり全国で百基以上の舎利塔が建立された事業を指す。その規模を考えるに、文帝による種々の仏教政策中、最も重要な意義をもつものの一つであることは間違いない。故に、仁寿舎利塔建立事業については、文献史料や出土史料を用いた研究が多く積み重ねられてきた。 それら先行研究が、仁寿舎利塔建立事業を論じる際に必ず参照するのが『広弘明集』巻一七である。本巻には、仁寿元年における舎利塔建立を命じる「隋国立舍利塔詔」をはじめ、各地から奏上された舎利の感応を記した著作郎王邵の「舍利感応記」など、仁寿舎利塔建立事業ついての基礎情報が最もまとまった形で残される。 『広弘明集』はそもそも、南山律宗の開祖道宣が護法のために編んだ書物である。三〇巻本一〇篇、上下の別がないもの、巻二七・二八・二九・三〇に上下を設けるもの、部分的に上下にするもの、全書を一〇篇四〇巻に分けたものがある。各版本で本文に大きな差異はない。しかし、開版時における文字の改変は皆無ではなく、版本間で細かな文字の異同は多い。巻一七でも、舎利塔建立を命じる詔文には各版本で文字の異同があり、どの文字をとるかで文意に聊かの相違が生じる。 そこで注目されるのが、平安~鎌倉期に書写された『広弘明集』の存在である。近年の調査により、平安~鎌倉期に日本各地で書写された写経には、北宋期に蜀地で開版された大蔵経などの版本系大蔵経を書写したもの以外に、奈良時代に書写されたテキストを底本とするものが複数含まれることが判明した。古写経中の『広弘明集』が奈良時代に書写されたテキストを底本とするならば、開版時に文字が改変されることのあった版本よりも、八世紀の姿を留める可能性が大きいであろう。 そこで本報告では、古写経中『広弘明集』の底本について検討を加えた上で、『広弘明集』巻一七所載「隋国立舍利塔詔」について版本と古写経との文字の異同などを調査し、そこから読み取れる情報に分析を加えていく。

問い合わせ

お申し込みはこちらへ

国際仏教学大学院大学 事務局
〒112-0003 東京都文京区春日2-8-9
電話 03-5981-5271
FAX 03-5981-5283
Email nihonkoshakyo14◆icabs.ac.jp(◆をアットマークに変えてください)

お申し込みはこちらへ

国際仏教学大学院大学 事務局
〒112-0003 東京都文京区春日2-8-9
電話 03-5981-5271
FAX 03-5981-5283
Email nihonkoshakyo14◆icabs.ac.jp(◆をアットマークに変えてください)

お知らせNews

月別
アーカイブArchive