令和8年度 第2回公開研究会
日時
2026年11月14日(土)午後3時15分~午後5時00分
会場
発表者
倉本尚徳 (京都大学人文科学研究所 准教授)
「中国の龍と仏教のナーガーー異文化交流史の一事例として」
【発表要旨】
中国においては,仏教が伝来するより前に,龍は雨乞いの対象,青龍などの星座としての神,黄龍に代表されるような皇帝との結びつき,吉祥あるいは凶兆の霊獣としての龍など,すでに重要な文化的役割を担っていた。
仏教が中国に伝来し,仏典が漢訳される際,降雨の能力を有するという共通点があることなどから,本来毒蛇のコブラ,あるいはブッダの象徴でもある象を指していたナーガが龍と漢訳された。これにより,複雑な文化交流が生じた。仏教の龍には,人の姿をした龍王やそのすまいである龍宮,龍王の娘である龍女といった,中国旧来の龍にはなかった概念が存在した。また,仏教の龍は,輪廻の世界の三悪道の一つである畜生類とされ,前世の業と関係づけて善悪両方の龍がいるとされた。人間も戒を犯すなどの悪業により,人間に危害をもたらす毒龍などに生まれ変わる場合もある。逆に前世において衆生救済の誓願を立て,善良で強大な力を持つ龍王に生まれ変わった場合もある。善良なる龍は仏に仕え,その強力な守護者となる。
中でもサーガラ龍王(海龍王)は仏法の守護者として最も重視される特別な龍である。この龍王は,竺法護訳の『海龍王經』などの仏典で龍衆の代表として佛に対し大乗仏教について質問する役割を果たす。さらに,隋代に訳された『蓮華面経』では仏滅後には仏から託された経典や仏鉢・舎利を龍宮で保管する役目を持つ。
中国の知識人層はこうした仏教の龍王をどのように受容したのであろうか。中国人の撰述した僧伝や感通の記録などを見ると,中国旧来の龍が中心であり,中国旧来の龍文化がいかに強固であったかがよく分かる。しかし仏教の龍概念も徐々に受容された。特に注目すべきは奉仏皇帝として知られる梁の武帝であり,彼は仏教の龍王を国家の守護神として国家の祭祀儀礼に初めてとりこんだ。また,隋の文帝の時代,度重なる旱魃の被害に対処するため,龍王を祈りの主な対象とした請雨儀礼を説明する『大雲輪請雨經』が訳出され実際に請雨儀礼が行われ,文帝やその臣下がこの経の記述のとおり八戒を受けている。
初唐長安仏教界の重鎮で律学の大家である道宣は,最晩年の著作『祇洹寺図経』において,諸仏典に基づきつつ,法物の保管者としての龍の役割をさらに潤色し,過去仏から託された法物を釈迦が世に出ると献上し,祇洹寺において使用され,釈迦滅後にはまた龍宮へと運び去り弥勒の下生の時に再び渡すという重要な役割を担わせた。そしてサーガラ龍王の宮殿にて『法華経』を専ら説いた文殊菩薩は,法物のうち特に重要なものを中国の五台山金剛窟に保管する。この説話は『古清涼伝』さらには円仁の『入唐求法巡礼行記』にも見られる。このように道宣の著作は,中国における仏教聖地としての五臺山の形成と密接にかかわるのである。
入澤 崇 (龍谷大学名誉教授・学校法人龍谷大学理事長)
「「転法輪」考―最古の仏像から考えるー」
【発表要旨】
現時点で最古の仏像はアフガニスタン北⽅のティリヤ・テぺ遺跡から出⼟の⾦貨(1世紀前半)に表現された像である。その⾦貨にはカロ―シュティー⽂字で「彼は法輪を転じる」と記されていて、その像はブッダを表現したものと考えられる。しかし、その像は獣⽪を⾝に着けたヘラクレスであり、ヘラクレスが⾞輪を廻している仕草で表現されており、他に類例がない。ガンダーラやマトゥラーで仏像が出現する以前、「仏陀不表現」の伝統を墨守しつつ、ギリシアの英雄神の姿を借りて仏像を表現しているのである。ここで重要なポイントはその仏像(=ヘラクレス像)が「転法輪」を表している点である。⾔うまでもなく、「法輪を転じる」とは「説法する」の意である。⾦貨の裏にはライオンと三宝標が表現されており、「恐れを取り除いた者」と銘記されている。ブッダは仏典ではしばしばライオンに例えられ、ブッダの説法は「師⼦吼」と呼ばれる。ライオンと法輪との組み合わせはブッダ初転法輪の地サールナート(⿅野園)に遺るアショーカ王柱柱頭を想起させる。「転法輪」は⼀⽅で「転輪聖王」のイメージとも重なることにも留意せねばならない。この⾦貨が出⼟したティリヤ・テぺ遺跡の地はバクトリアであり、そこから出⼟した約2万点の⻩⾦遺宝は「バクトリアの⻩⾦遺宝」として名⾼い。バクトリアはクシャーン勃興の地であることも忘れてはならない。初期⼤乗経典の訳経僧として名⾼い⽀婁迦讖はバクトリア出⾝である。7世紀にバクトリア地⽅に⼊った⽞奘はバクトリアのバルフを「⼩王舎城」と呼んでいることにも注意を払っておきたい。バクトリアと並んで、「ブッダの説法」に関わる図像を多数⽣み出した地域がある。スワート(パキスタン)である。スワートのブトカラ遺跡(1世紀前半)から「梵天勧請」の図像が複数出⼟しており、ブッダを「⽇輪」で象徴的に表現する図像と共に、ブッダを⼈間の姿で現す図像が登場している。仏像出現の問題に関わる重要な資料である。「梵天勧請」はブッダの説法開始を決意するシーンであり、ティリヤ・テぺ出⼟の「ブッダ=ヘラクレス」図像と併せ考えると実に興味深い事実が浮き上がる。両者ともに「説法(転法輪)」に関わっている。「梵天勧請」は『法華経』「⽅便品」で新たな装いをまとって(梵天の代わりに舎利弗)再登場することは注⽬すべきである。紀元1世紀に現れる新たな仏教図像と経典制作運動とは果たして関係があるや否や。本講演では他に、ガンダーラ出⼟仏伝図での「初転法輪」図像の特異性を取り上げ、「転法輪」について深く掘り下げ考えてみたい。
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