令和7年度 第2回公開研究会
日時
2025年11月8日(土)午後3時15分~午後5時00分
会場
発表者
田林啓(大阪市立美術館 学芸員)
「唐代の仏教絵巻の復元−美術史における『画図讃文』の価値」
【発表要旨】
『画図讃文』は、もと東大寺塔頭の尊勝院に所蔵され、明治の初め、正倉院聖語蔵に文書類が移管された際に、民間に流出した。当初全30巻から成り、その名の通り、画巻とそれに対応する讃文(解説文)によって構成されていた。撰述者は、唐の道宣或いはその一派、成立年は664年頃~700年頃と考えられる。旧尊勝院蔵の諸巻は、内藤湖南、中田勇次郎によって、正に7世紀の唐において書写されたものとされる。唐以前の伝世の絵画(画巻や掛福等)がほとんど残されていない今日において、その価値は極めて高い。これまで、巻第26の残巻が東京・大東急記念文庫(重要文化財)、同巻の断簡が五島美術館、巻第27が神戸・白鶴美術館(重要文化財)に所蔵されていることが知られていた。いずれも讃文部分で、褐麻紙(或いは楮打紙)に1行13~14字を書す。これらによって、『画図讃文』は、南斉・蕭子良撰述『浄住子浄行法』(南斉・王融による頌を附す)を骨子として、『高僧伝』や『大唐西域記』等の内容を基とする仏教聖跡・瑞像に纏わる奇瑞説話を組み合わせることが分かる。浄住子の性格からして、中国における在家者の仏道修行向けの、画巻付随テキストとして機能したと考えられる。画巻部分は、未だに見いだされないが、巻第26に第18~20図、巻第27に第21~23図の3図ずつの讃文が記されており、後者の奇瑞譚と重複する内容が、仏教美術の宝庫である敦煌莫高窟の画巻式壁画(初唐・第323窟)に描かれる。加えて、第323窟は浄住子に性格を重ねる戒律画も描くため、『画図讃文』に込められた道宣派の思想や計画の波及力の一端を示すと言える。
巻第27は、白鶴美術館創立者の七代目嘉納治兵衛によって、明治43年に既に影印本が出版され、広く公開されたが、この影印本に付された内藤湖南の跋文も当時の同本の散逸状況を語る点で重要である。すなわち、巻第27は、税所篤の手を経て白鶴に伝わったが、この他に、浪速の上野氏(理一か)が33行及び2行(いずれも浄住子十種極大慙愧門及び偈)、橋井氏(善二郎か)が10行(断絶疑惑門及び偈)、寧楽の石埼氏が2行(極大慙愧門)、寧楽の中村氏(雅真か、嘉納治兵衛の実兄)が30行(行記・聖跡に関する内容)をそれぞれ所蔵し、いずれも巻第25の一部であると述べ、また、東京の古澤氏が一巻を所蔵すると言う。このうち、古澤氏蔵の一巻は、比較的整った巻子本である現大東急記念文庫所蔵の巻第26に当たる可能性があり、また大東急本の浄住子が極大慙愧門から始まることから、石埼氏蔵の2行も巻第25ではなく、巻第26の一部であったことが分かる。
また、近年、滋賀県・布施美術館にも『画図讃文』の巻子および断簡が所蔵されることが国際仏教大学院大学の調査によって注目された。そのうちの、33行の巻子本、および浄住子を記す2行の断簡は、いずれも浄住子極大慙愧門およびそれに付随する偈である。そのため、いずれも『画図讃文』の巻第25の一部であり、浪速の上野氏、つまり上野理一旧蔵品である可能性が高い。
永田知之(京都大学人文科学研究科 准教授)
「六朝の詩文と日本古写経―刊本・非仏教文献との比較を通して―」
【発表要旨】
隋代(581~618)以前の文章と詩歌は、各々厳可均『全上古三代秦漢三国六朝文』と逯欽立『先秦漢魏晋南北朝詩』に概ね集成される。六朝における仏教の盛行を反映して、そこには仏典に関わる、また仏僧の手に成る作品も少なからず含まれる。原型を保って今日に伝わる当時の別集(個人の詩文集)は極めて乏しく、それらは総集(選集)・史書などを除くと大半が仏教文献を典拠とする。ここでいう仏教文献は、『出三蔵記集』、『弘明集』、『広弘明集』、『高僧伝』、『続高僧伝』、『辨正論』等が主体となる。
博捜に努めた厳可均・逯欽立らの編著は今も唐に先立つ時代の詩文を考える上での礎とされる。ただ時代の制約から、清の厳可均が用いた仏教文献の底本に難点があることは当然だが、20世紀の逯欽立も『大正新脩大蔵経』のみに依拠する。本邦に伝わる古写本の考察―例えば国際仏教学大学院大学日本古写経研究所による―が明らかにしたとおり、仏書の刊本にはテクストとしての問題も含まれる。そして、それは引用される詩文にも関わる。
『高僧伝』巻五に見える道壱の伝から例を挙げよう。そこには、東晋の帛道猷が道壱に宛てた書簡と詩が引かれる。『高僧伝』の刊本では、この詩は例外なく10句から成る。これに対して、北宋の孔延之(1014~1074)が編んだ『会稽掇英総集』(会稽に関わる詩歌を選録)の巻七所収の同じ詩には第11句以降が存し、末尾が4句多い。『会稽掇英総集』の成立は『高僧伝』より500年強遅い上に、明刊本しか伝わらず、後世の加筆を疑い得る。ところが『高僧伝』の巻五を含む日本古写本(金剛寺一切経本など4種)は、みな当該の詩を『会稽掇英総集』と同じ14句という形で引用する(『日本古写経善本叢刊』第9輯参照)。古写本と『会稽掇英総集』との一致から見て、『高僧伝』の刊本が引く帛道猷の詩こそ欠落を含むと思われる。ともかく刊本だけに基づく、逯欽立のような校訂だと、(ここでは結末の4句を欠いて)作品を分析するなど、解釈が危ぶまれる事態が生じる。
このように仏教文献・非仏教文献の刊本と日本古写本を比較することで、六朝の詩文を考える上での新たな視座が得られないか。本発表では、それに向けた初歩的な考察を試みる。発表者の能力ゆえに雑駁な内容となろうが、散文に言及しつつも、仏教文献に見える詩などの韻文を優先して取り上げたい。
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